僕は、何を隠そう、『適当』や『いい加減(良い加減)』という言葉が好きだ。
むしろ『正確』や『完璧』よりも良いとさえ思っている。
ところが、世間では、『適当な人』とか『いい加減な人』とかの肩身は狭い。
『適当』や『いい加減』は、いつから悪い風に使われるようになったのだろうか?
『適当』
1、そのものの性質 状態が今求められている条件 目的に合致すると思われる様子。
2、表面上のつじつまが合うように扱い、局面を収拾する様子。
『いい加減(好い加減)』
1、過不足ない頃合い
2、一貫性や明確性を欠いていて、それに接する人に嘘 ごまかし でまかせだという印象を与える様子
3、限度を超えていて、そろそろ何とかしてもらいたい感じだということを表す。
新明解国語辞典(金田一京助 編)より抜粋
『適当』の『適』の意味は、
1、心にかなう
2、よくあてはまる
ということで、悪い意味は全くない
ところが、これに当たるが入ると、なぜか悪い意味にされちゃうのである。
1、心にかなうに当てはまる。
2、よくあてはまるに当てはまる。
どっちにしても、適当とは良い意味なはずだ。
ね、なんか変でしょ!?
適当が悪い意味に使われ出したのは、「適当にやりなさい」という指示に対して、本来の『適当』では無いように、手を抜いて対応した人が居て、それが転じて悪い意味に使われるようになったのだろう。
『いい加減』も、どう考えても本来は『いい意味(良い意味)』だったはずだ。
何しろ、いい(好い、良い)加減なのだから。。
有名なことわざに『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』という言葉がある。
これは、過ぎちゃうのは、及ばないよりも、もっと悪いという意味だ。
これは、人気やバブルが盛り上がるスピードより崩壊するスピードの方がはるかに早いこととよく似ている。
こういうことを図で示すと、必ず山が盛り上がっていき、崖のように崩れ落ちる曲線を描くのだ。
一般論でも考えてみたい。
例えば、『好き』ということをこれに当てはめてみると、過ぎちゃうのは『ストーカー』で、及ばないのは『ふつうの友人』だ。
過ぎちゃうより及ばない方が、全然よい。(笑)
ところが、これに『いい加減』を当てはめてみると、これは『好き』ということになるわけで、こっちの方が良いのではないか??
世界は動いている。
だから、『いい加減』を保つためには、さじ加減を調節しなければならないわけです。
それは、現実の世界を良くするために、ものすごく大切な方法論なはずである。
これは世界の本質だと思う。
これを『でまかせ』よばわりをしてバッシングするとは、もってのほかだと思う。
よく親が子供に「いい加減にしなさい」と怒るのは、『いい加減』を過ぎて、駄目になってるのよ、あなたは!!と怒っているはずです。
『いい加減』にしなければならないのですよ。『いい加減』に!!
科学技術というのは、厳密に正確にやらなければいけないことだった。
この科学技術の時代と『いい加減』が悪い意味に使われるようになったことは、もしかすると関係があるのかもしれない。
しかし、その正確さや厳密さが、システムの硬直や暴力を産み出してきた。
それが19世紀や20世紀だったのではないだろうか??
21世紀に必要な言葉。
それは『いい加減』のような、柔軟にシステムや変化に対応していける言葉だと思う。