数学好きなら知らない人はいない数式に、『フェルマーの最終定理』というものがある。
フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり)とは、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない、という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。
n = 2 のとき、上の式を満たす整数の組は無数に存在し、ピタゴラス数と呼ばれる。このような数は具体的に書き表わすことができる。
フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らくその証明も反例も知られなかったことからフェルマー予想とも称されたが、360年後にワイルズによって完全な証明が発見され、フェルマー・ワイルズの定理と呼ばれるに至る。
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もちろん、僕は数学が大の苦手なので、なんのこっちゃ?よく分りません 笑
もちろん、これを持ち出したのは、語呂合わせのためであって、他意はありませんでした。
ところが、
ピエール・ド・フェルマー(Pierre de Fermat、1607年末もしくは1608年初頭- 1665年1月12日)はフランスの数学者。「数論の父」とも呼ばれる。ただし、彼は実際には弁護士を職業としており、数学は余暇に行ったものである。
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632年10月31日 - 1675年12月15日)は、17世紀にオランダで活躍した画家。レンブラントと並び17世紀のオランダ美術を代表する画家とされる。生涯のほとんどを故郷デルフトですごした。
というわけで、同時代の人なのである。
これは、単なる偶然ということもあるけれど、近代数学が確立していく過程と、フェルメールの絵画が確立していく過程が重なっていったということなのかもしれない。
芸術の確立と科学の確立というのは、相互に作用しているからだ。
さて、明日14日(日)まで上野の東京都美術館で行われている、フェルメール展に駆け込みで行ってきたのだが、金曜の夜6時半で、1時間待ちという長蛇の列で、ブームなんじゃないか?世界遺産とか、有名になると、こんなに人が押し掛けるのか?とか、様々思ったのだが、とはいえ、僕にしても、十数年間フェルメールフェルメール言い続けてきたフェルメールフリークなので、自業自得な部分は無きにしも在らずなので、とりあえず並ぶ。
15年かかって、ようやく15作品見てきたのに、いきなり7作品が、しかも日本で見れる機会など、二度と無いかもしれないのだ。
ようやく入れたのが19時30分を回ったところ。
マリアとマルタの家のキリスト
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前にも見ているような気がするのだが、定かでは無い。
果たして、こんなに素晴らしい絵だっただろうか??
フェルメール22歳か23歳の作品。
既に、ラファエロの傑作に匹敵する作品である。
僕はこの絵に、明らかなカラヴァッジョとラファエロの影響を見てとるのだが、果たして、オランダ在住のフェルメールに、ラファエロやカラヴァッジョを見る機会があったのかどうか、ナゾである。
フェルメールが世界最高の画家と言われているのは、彼のスタート地点が既にラファエロから始まっているからかもしれない。
オランダにあるやつは、しょっちゅう見ているので、さっと見るだけにして見ていったのだが、今回の白眉はこれだった。
リュートを調弦する女
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スゴい、本当にスゴい。
何かもやもやとしていたもの、霧が晴れていくかのような心持ちになる。
とにかく、絵画としての圧倒的な高み。
それは言葉では説明出来ない。
何を言ってみても陳腐に聞こえるだけ。
フェルメールだけが到達し得た高みなのだ。
日常と神の領域
”ここにあるもの”と”ここではないもの”
寓話と神話
音と静寂
動と静
光と色
この世界全てが、詩となって、ただ画面に存在している
恐らく、本物を見ないと本当のスゴさは分らないだろう。
とりあえず、この作品を見たければ、明日の早朝に美術館に並ぶしかないだろう。
それが無理なら、ニューヨークへ行くか。
もちろん、それだけの価値が充分にある絵画である。
ブームとかなんとか、思ったが、思いのほか、お客さんは真剣に絵画を見ている。
これは、ダヴィンチの『モナリザ』が来た時のような、浅はかなブームではない、もっと奥深い経験になっていくような気がする。
何しろこの絵を90万人を超える人達が、その目で見たのだから。
芸術とは、文化とは、常にそのようにして生じていくのだと思う。
『フェルメールの最終定理』とは何なのか?
これからも、僕や多くのファンの旅は続いていくだろう。
フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」公式サイト