疑問整理
事故が起きた日航123便には、ハウス食品社長が乗っていた。
ハウス食品は、
グリコ森永事件で脅迫されていた会社の一つであり、事故当日に、犯人から終結宣言が出されていた。
「くいものの会社いびるのもうやめや。」
犯人は、終結宣言を出したのは、滋賀県警の山本昌二前県警本部長が自殺したためとしているが、本部長が自殺したのは、大津市松本1−9の滋賀県警官舎の庭先だった。
自殺の原因は捜査の失態と言われているが、グリコ森永事件における警察バッシングを受けて、次の警察のトップになった人って誰だろうね。興味があります。
警察の失態って、みんなバッシングしますけど、僕はそれを利用して主要ポストに就く人を必ずチェックすることにしています。(まめ知識)
こちらに、一部で非常に話題になったコピペがありますので、参考までに貼っておきます
グリコ森永事件では、田中角栄が倒れた時に、森永製菓を許している。
田中角栄は、北朝鮮から入港していた万景峰号が最も多く寄港していた新潟の政治家であり、拉致事件も同様である。
田中角栄は、日中政治の独自ルートを開発しようとして、キッシンジャー×ニクソンに刺された(ロッキード事件)と言われている。
一方、日中友好の主要ルートとなったのが、福田赳夫元首相である。
そして、キッシンジャーの愛弟子が同じ選挙区の中曽根元首相である。
グリコ森永事件の被害にあった森永の社長令嬢は、安倍元首相と結婚している。
当時、安倍の父である安倍晋太郎は、外務大臣だった。
安倍晋太郎の父である岸信介は、福田赳夫の元上司である。
江崎(江崎グリコ)社長が神戸に所有していたマンションの一階下が、金大中元韓国大統領が拉致された時、連れ込まれた部屋であると言われている。
金大中拉致事件は、KCIAが関わっていた事が分っている
グリコ森永事件は、兵庫と大阪を中心とした事件である。
一方、事故が起きた日航123便は、大阪の伊丹空港(兵庫)に向かっていた。
107名の死者を出した戦後最大級の列車事故であるJR福知山線脱線事故は、JR福知山線の塚口~尼崎駅間で発生したが、当該の列車は快速列車であったため、直前の停車駅は伊丹駅であった。
なお、塚口駅前には、グリコ森永事件の被害企業、森永製菓塚口工場があった。
詳しくは
JR福知山線脱線事故の深層
ちなみに、系列会社の森永乳業は、戦後最大の食品中毒事件、
森永ヒ素ミルク事件
の加害企業である。
兵庫県伊丹市出身の、元自衛隊員であり付属池田小事件の犯人、宅間守は、なぜか日航123便の事故処理にあたっていた。
附属池田小事件 の疑問
宅間守と秘密のトンネル
日航機墜落事故の捜査本部の指揮をとった群馬県警本部長の河村一男は、山口県出身で、兵庫県神戸市須磨区在住である。(すでに死去)
神戸市須磨区では1997年に酒鬼薔薇事件が起きた。
ちなみに酒鬼薔薇事件当時の地元の政治家は
この人です
で、神戸市須磨区出身の政治家には、石井一、石井一二、石原慎太郎、扇千景が居る。
◆
石井一(超法規的措置と言ってテロリストを釈放し、世界的な批難を浴びたダッカハイジャック事件の時の運輸政務次官=運輸省のトップ。ちなみに、テロリスト釈放したのは、福田首相の父赳夫。 松本サリン事件当時の自治大臣兼国家公安委員長。)
ちなみに、日本で電子投票制を推進しているのは、
石井一の弟で、元自由民主党参議院議員の石井一二
◆
石原慎太郎(運輸大臣1987年11月6日〜1988年12月27。つまり、大韓航空機爆破事件当時の運輸大臣)
ちなみに、石原慎太郎の後に運輸大臣に就任したのは
佐藤信二1988年12月27〜1989年6月3日であり、
当時は、リクルート事件、女子高生コンクリート詰め殺人事件、宮崎勤事件など、大事件が続々起きていた。
ちなみに、佐藤信二は、光市母子殺害事件の地元の政治家であり、父は元首相の佐藤栄作。その栄作の兄が岸信介つまりアベちゃんの祖父である。(豆知識)
◆
扇千景 (運輸大臣2000年12月5日〜2001年1月6日)
国土交通大臣2001年1月6日-2003年9月22日)
付属池田小事件や911テロが起きていた時の、国土交通大臣である。
ちなみに、日航機事故後、株価の下落を利用してJALの筆頭株主になったのは。。。
この人だったかな??
で、この人は石原閣下の親友だそうです。
この人を襲ったのは、山○組系後○組だが、伊丹十三監督を襲ったのも同じであったそうだが、この組長も日本航空の筆頭株主になっている。
伊丹十三監督の『スウィートホーム』は、なぜか宮崎勤事件の元になったシナリオとして登場する。
伊丹十三は、富士山周辺の産業廃棄物に関する映画を制作している途中に謎の自殺をしている。
富士山周辺とは、オウムのサティアンが有った場所で、現在最も自殺の多い場所である。
もっと続けると、123便事故の遺体を運び、検死したのが、現場から一番近かった川上村ではなく、群馬県藤岡町だった。
群馬県藤岡町の現在の地元政治家は、福田首相である。
ということは、当然のことながら、当時の地元政治家は、福田赳夫元首相だろう。
もちろん、当時は中選挙区制だったので、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三(日米ガイドライン法案通した時の首相)、山口 鶴男(元社会党委員長)などの大物ばかりが並んでいた。
一方の長野県川上村の地元政治家は、羽田孜である。
羽田孜は、松本サリン事件が起きた時の首相であった。
日航123便の捜索にあたったのは、自衛隊第12師団松本支部である。
その松本で松本サリン事件は起きた。
ちなみに、第12師団の司令部は群馬県にある。
松本サリン事件の首謀者として捕まり、死刑判決が下ったのは、松本智津夫死刑囚である。
松本智津夫は、松本兄の証言によると、
戦後最大の公害病だった水俣病の被害者(胎児性水俣病)であったと信じていたらしい。
松本サリン事件が起きた当時の地元政治家は、
村井仁である。
村井仁は、付属池田小事件当時の国家公安委員長=警察のトップであった。
附属池田小事件 の疑問
宅間守と秘密のトンネル
村井仁は、現在の長野県知事であり、長野には北京オリンピックの聖火が走った。
ちなみに、その後中国首相と福田首相が会食したのが、松本楼というフランス料理店であった。これは福田首相側のたっての希望だったらしい。
松本楼は、中国の孫文の革命に関わる老舗料理店である。
さて、以上が疑問の整理です。
本当はもっともっとありますが、これ以上書くとヤバそうなので書きません。
その代わり、
参考にこの辺でも貼っておきますか。。
参考その2
羊をめぐる冒険をめぐる謎へつづく