こんな文章を掲示板で拾いました。
以下引用
日本の警察は優秀だといわれていた。その有力な証拠としてあげられていたのが、9割をこえる有罪率と、一般刑法犯の6割をこえる検挙率である。たとえば1950年の検挙率は7割りに近かった。
これが1985年を境にして、急激に落ち込んだ。2002年はこれが20.8%と、ほぼ2割りに落ちてしまった。
とくに強盗犯の検挙率の落ち込みが激しい。80%前後であった強盗罪の検挙率が2000年には56.9%にまで落ちた。最近では5割を切ってしまっている。つまり強盗犯の二人に一人はつかまらないわけだ。
日本の刑事裁判の有罪率は99%、アメリカの陪審裁判による有罪率は78%だという。これは裁判官裁判と陪審員裁判の差もあるだろうが、もうひとつ、日本の検察は昔から有罪が確実だと思われるものしか起訴しないということがある。
欧米の裁判所は有罪か無罪か判断するが、わが国の裁判所は有罪であることを確認する場所になっている。
これは三権分立の立場からして、重大な問題をふくんでいる。検察が事実上の裁判権を行使していると考えられるからだ。外国人から見ればこれは恐るべき「裁判不在」である。
以上(http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/month?id=7246&pg=200402より引用
さて、この文章にあるように、日本で犯罪者が捕まらなくなったのは、1985年からだ。
つまり、1985年前後に、『犯罪者が捕まらなくなった原因』があるわけです。
だから、その辺の年表を見て、必死に原因を探らないと、永遠に問題は解けないはず。
こういう当たり前のことを考えないと、いくら警察官を増やしても、監視カメラを付けても犯罪は減らない。
なぜなら、それでも犯罪者は捕まっていないからだ。
私達の国では死因が不明な異常死体のわずか4%しか司法解剖されていないそうです。 96%は、誰かの都合で『病死』とされている。
それでも、あきらかな”でっちあげ”もある。
ようするに、私達の国では、真犯人を捕まえていないために、体感治安が悪化しているようなのです。
どうやら、私達は、新しい視点で報道を見つめ直さないとならないようだ。
日本で何か大きな事件があったとしたら、その犯人について調べるのもよいが、それだけで真実は永久に分らない。
その犯罪が起きて裁かれていった過程の、警察官僚と大臣と検察官と裁判官と報道する責任者の履歴も調べないと。。
私達が、事件を調べる時に必要なのは、年表と家系図と履歴だ。
これらはファクト(事実)に基づいている。
それに対し、供述調書は一次情報ではないので、所詮フィクションに過ぎない。
供述調書に基づいた裁判は、言ってみれば『文学批評』みたいなものである。
僕は、文学批評に興味はありません。