九州で『類を見ない激しい豪雨』が降り、20名が亡くなったそうだ。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
さて、この雨なのだが、気象庁が『類を見ない激しい雨』という表現を使っているのが引っかかる。
もちろん、これは激しい雨なのは間違い無い。
しかし、梅雨末期の九州は大概激しい雨が降るものである。
梅雨末期は、激しい雨が降る上に、その後には台風もやってきて、もの凄い豪雨になるわけである。
それが、九州という土地、あるいは和歌山もそうだが、の本質であると思う。
当ブログは気象操作について研究しているわけだが、この豪雨が気象操作と関係あるかどうか?については、何とも言えないと思っている。
では、なぜ気象庁が『類を見ない激しい雨』と表現したのだろうか??
そこに、当ブログは、現在、自民党と公明党が進めようとしている、消費税増税によって、今後10年で10兆円とも20兆円とも言われる、災害対策の大型公共事業を行おうという国会での議論が隠されているのではないか?と疑うのだ。
民主党は、『コンクリートから人へ』というテーゼを掲げて政権交代を成し遂げた。
しかし、311をきっかけとして、そのテーゼは空中分解を引き起こし、今まさに『人からコンクリートへ』になりつつある。
このまま行くと、増税は、貧しい人・失敗した人達に対する最低限文化的生活を補償するためという名目を失って、コンクリートや軍事技術に使われるだけになってしまう。
気象庁は、国土交通省の外局である。
つまり、災害対策の大型公共事業を今後10年で10兆円とも20兆円とも上積みされるとすれば、そのお金は、国土交通省の予算になるわけです。
地球温暖化による未曾有の豪雨で災害となれば、この予算を通すのに格好の材料となるわけです。
確かに、大雨は増えている。
気象操作が行われていることも間違い無い。
しかし、従来型のコンクリートによる大型公共事業が、根本的な災害対策になっていないのは、宮古の超大型堤防を易々と津波が乗り越えてしまったことで、完全に明らかになった。
私達は、災害対策に対して、従来型のコンクリートによる大型公共事業では対応しきれないのだ。
だから、違う方法で、災害対策をしなければならない。
そして、その災害対策において、最も効果的な方法は、既に判明している。
当ブログが、前から指摘しているように、それは、『その土地に適した在来種の樹木を中心とした森を再生し、適材適所に配置することである。
311の津波で津波に飲まれた照葉樹のタブノキがあった。
これは、津波のものすごい力で傾いているにも関わらず、きちんと根を張って生き延びていた。
土地本来の諸条件にピタリと合って生態系を形成してきた樹木は、災害に対してめっぽう強いのだ。
管理人の友人の父は、長崎原爆で原爆の落下地点の1キロ圏内に居て、木登りしていたのに、原爆で死ぬことが無かったそうだ。後遺症もほぼ無いという。
長崎原爆で原爆の落下地点の1キロ圏内といえば、致死率が90%以上である。
それなのに、屋外で木登りをしていた少年が助かったということは、その木(おそらくクスノキ)が、原爆の爆風や放射能を防いだということ以外に考えられない。
そして実際に、原爆に焼け残り、生き残ったクスノキが存在しているのだ。
私達は、かつ商売や利便のために、鎮守の森と呼ばれた森を切り落として開発してしまった。
しかし、私達が大規模災害に遭遇するのは、この鎮守の森と呼ばれた森を切り落として開発してしまったことに原因がある場合が多い。
そして、林業のためにごと人工林(針葉樹)に変えてしまった弊害。
そして、これらを再生するのに、お金はほとんどかからないはずなのだ。
小学校、中学校、高校の生徒達に、その土地本来の樹木の種を植えさせ、育てさせ、森を再生させれば、お金は全くかからないどころか、子供達にとって、またとない真の教育の機会になるのである。
当ブログは、建設業やゼネコンの仕事を奪おうと思ってこういう記事を書いているわけではない。
むしろ、逆である。
このような真の教育と土地再生機能、防災機能を持ったプロジェクトと、日本の素晴らしい建設の技術が合わさった時、日本は、21世紀の世界をリードする、素晴らしい技術立国、文化立国、生活立国に成り得ることを確信するからこういう事を書いているのだ。
311後、私達が再生しなければならないのは、こういうことだと思います。
当ブログは、現在、関東大震災の研究をスタートしているところです。
その研究は、近々ブログで発表する予定です。よろしくお願いいたします。