最近、赤瀬川源平の『目利きのヒミツ』っていう本を読んでいたのですが、これは面白い本です。
赤瀬川源平っていう人は、1000円札の偽札(といっても片面印刷の明らかに偽札と分るもの)のアート作品を作って当局に捕まってしまった人なんですけど、これ、作品としては究極に奥深いですよね。
それだけでも面白いんですが、他にも路上観察学会を作り、『超芸術トマソン』の研究をしたりと、一筋縄ではいかない活動をしてた人です。
そんな赤瀬川氏が、『眼力』について書いているのです。
「20世紀前半までの美術というのは、眼力によって善し悪しが判断出来る。
でも、それ以降のものは、眼力によっては判断つかなくなってしまっている」と書いています。
僕も全く同じ意見です。
当ブログ管理人は、昔、100を越える日本や欧州の美術館巡りをして、ひたすら眼力によって、芸術を見てきたのですが、やはり、20世紀以前の美術というのは、評価の高い画家の傑作は、いずれも絵画の質は高いのです。
それは、この眼で確かめてきたので間違いないと思います。
でも、20世紀に入り、そうではないものが登場するようになった。
欧州に買い付けに行くと、本当に1日中服を見てるんですけど、それこそ何万着とかですね。
本当に、よくそれだけ見れるねぐらい服を見てます。
しばらくは、服について考えることすら出来ないくらいです。
買い付けに行ったあと、何々が良いとか、そういう記事を直ぐに書かないのは、そういうこともあります。
書かないというか、書けなくなります。
でも、それはいずれ表面に出てくるんですね。
まず、はじめに眼力があります。
で、買ってもよいなと思えるのは、大体そのうちの100着とかそれくらいということになるんですが、それは、眼力+経験の線上に浮かび上がってくるものです。
たぶん、世の中のほとんどの人は、自腹で何千万円もの洋服を買うっていうことは無いと思うんですが、僕は、洋服を買って売ることで生計を立てているので、当然のことながら、今まで自腹で服を買った金額というのは、半端無いんです。スゴい金額です。
その辺は、他人のお金で給料もらって働いているバイヤーさんとは全く違うところです。
自腹を切って買うっていうのは、やはり真剣に見ます。
まず、考えるより見るんですね。
そして体験する。
それが、自分の生き死にに関わってくるんだから当たり前です。
買っただけでは売れません。
それは、収支上はマイナスなわけで、それを販売することによって、はじめて利益を得ることが出来るわけですから。
ですから、価値っていうものに関して、ものすごく真剣に向き合うようになりました。
価値とは何ぞや?
これは、自分の一つのテーマです。
『経済学』の議論が上滑りだなあといつも思うのは、『経済学』が、価値というものを真剣に見つめていないからなんじゃないかという気もします。
そして、価値を判断することには、やはり、目利きであること、そして経験として蓄えたものが無くちゃいけないのです。
店を始めて今年で10年になるんですけど、この10年間、様々なものを見て、様々なものを買いました。
そして売りました。
店を始める前は、美術館とか店に行って眺めるだけでしたけど、自分のお金を使って買うことでしか見えてこないものが、色々見えてきた気がします。
そして他者に売ることもそうです。
自分では経験出来ないものが他者の経験になっていくということもあるんですね、服っていうのは。
そして服っていうのは、着ることが出来るんですね。
『体験』を伴うんです。
今まで数千着、いや1万を越える服を着て、着せてきましたけど、それは、つくづく自分の財産だなあという風に思います。
着ないと分らない世界があるんですね、服というものは。
だから服を買い、そして売っています。
そしてそれは、眼力の先にある『総合芸術』への入り口だと当ブログは思っています。
なんだか、うまくまとまらないエントリーでしたが。。
今のところ、こんな風にしか書けません。