地下鉄サリン事件、よど号事件と国立がんセンター、厚生労働省を繋ぐもののつづきです。
僕が初めてエイズについて疑問を抱いたのは、かなり前に、ノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリス博士の著書「マリス博士の奇想天外な人生」を読んだ時だった。(面白いです)
彼は、ある時エイズについての講演を頼まれて、エイズとHIVウィルスに関する論文を徹底的に読んで勉強したわけだが、彼が気付いたのは、実は『エイズの原因がHIVウィルスであると証明した論文が一つも無い』ことだった。
彼はエイズ治療薬を作っている製薬会社の講演で「エイズの原因がHIVウィルスではない」と言おうとしキャンセルされた。
このことから、なんとなく変だなと思い始め、調べていくうちに、『エイズ研究所発生説』に行き着く。
エイズの流行の仕方というのは、極めて不自然なのだ。
エイズの起源は生ポリオワクチン?
http://www.primate.or.jp/PF/yamanouchi/91.html
元々、エイズの起原は、アフリカで生ポリオワクチンを作っていた際に、偶然発見した免疫不全ウィルスが起原なのではないかという、かなり有力な説がある。
しかし、ここで述べられているように、このウィルスが自然発生的にアフリカやアメリカのゲイの人達に広がっていったというのは、どうにも不自然なのである。
不自然といえば、新型インフルエンザの流行もきわめて不自然でしたねえ。。
豚インフルエンザはメーデー対策??も参考に
本題に戻ります。
それよりも、この偶然見つかった免疫不全ウィルスを研究しているうちに、人間に作用するウィルスを発見した(又は作り出した)と考えた方が、遥かに自然である。
以下は引用です。
「エイズ=生物兵器説」の真相・再説
エイズの症例がはじめてニューヨークで発見されたのは1979年だが、実はそのすぐ前年の1978年に同じニューヨークのマンハッタンでB型肝炎ワクチン試験が「実験」として実施された。被験者としてモルモットにされたのは、誰あろうゲイの人びとであった(バイセクシュアルをも含む)。しかもその対象は、平均年齢が29歳の/健康で/高い教育を受け/不特定多数の相手と性的関係を持つ/白人の男性のみをリストアップしたものであった。
この試験を執り行ったのはニューヨーク市血液センター。そのスポンサーとなったのが、まことに都合のよいことに、今日では積極的にエイズ予防・治療に取り組んでいる国立防疫センター(CDC)・国立衛生研究所(NIH)、そして国立アレルギー感染症研究所などの各政府機関であった。
この「実験用」B型肝炎ワクチン試験を監督したのが、当時CDCの疫学者であったドナルド・フランシスなる人物で、彼はハーバード大学のマックス・エセックスの研究所でかつてネコ白血病ウイルスの研究に従事し、CDCではエイズ特別研究班長を務めたほどの経歴の持ち主である
中略
この試験のその後の追跡調査を行った結果、実験用ワクチンを接種されたゲイの「実に半数以上が」HIVに感染していた(1986年時点の報告から)
以上引用終わり
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/aids_genocide2.html
ここで述べられているのは、ゲイの人達へのB型肝炎ワクチンの実験によって、エイズが拡大したのではないか?という事である。
「エイズ=生物兵器説」の真相
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/aids_genocide1.htmlも参考に
では、アフリカには、どうやって拡大していったのであろうか?
それはおそらく、ワクチンである。
WHOは、伝染病予防と言って、アフリカ諸国に凄まじい量のワクチンを摂取させたが、その中にエイズウィルスが紛れ込んでいたわけだ。
なので、アフリカでは、凄まじい数のエイズ患者が誕生することになった。
モーターボートおじさんは、世界の伝染病を無くそう。『人類みな兄弟』『一日一善』とテレビで盛んに言っていたが、なんの事はない。エイズを思いっきりバラまいてしまっていたのだ。
モーターボートおじさんは、その栄誉をたたえられ、国連平和賞を受賞した。
ちなみに、オウム真理教の宗教法人を認可した鈴木俊一東京都知事や、暴力団や黒社会の人を総動員して日米安全保障条約を通過させた岸信介も国連平和賞を受賞している。
なんて素晴らし賞なのだろう『国連平和賞』
国連の闇と厚生次官連続殺傷事件まとめも参考に
さて、日本では、そのエイズは、『非加熱製剤』を通じてやってくる事になった。
ちなみに、このエイズ入り非加熱製剤を導入した時の責任者、厚生省の薬務局長は、山崎圭という人物で、彼の義理の兄が、何を隠そう、中曽根政権における日本版CIAの創設と呼ばれた内閣安全保障室の初代室長なのだ。(あさま山荘事件でも活躍)
彼は、宮崎勤事件が発生していた1989年6月まで内閣安全保障室の初代室長を務めた。
そして彼は、国連平和賞を受賞した東京都知事が認可したカルト集団が地下鉄サリン事件を起こした時、危機管理の大切さをテレビでとくとくと説き、「破壊活動防止法を導入しろ」と言っていたのである。
しかしながら、地下鉄サリン事件で死んだ人間よりも、エイズで死んだ人間の方が遥かに多いのである。
危機管理とは何なのか?それをもう一度考え直さなくてはならない。
そう思うのは、僕だけではないはずだ。
このように、薬害エイズ事件というのは、底がおもいっきり深いのである。
つづきます。