佐世保事件と舞鶴事件のつづき
第二次大戦の謎っていうのは、さまざまあるのだが、ほとんど公に語られることがない最も大きな謎というのは、『なぜ原爆は長崎に落とされたのか?』
もうひとつ、『国家予算に匹敵するほどの莫大な天皇の資産は一体全体どこへ消えたのか?』
ということだ。
長崎というのは、日本で一番早くキリスト教の信仰が広まったところで、日本におけるキリスト教の『聖地』ともいえる場所だったはず。
占領を間近に控えていた米軍が、日本におけるキリスト教の聖地、長崎を、日本占領の重要拠点として重要視しただろうことは想像に難く無い。
ひょっとしたら、日本占領時の唯一の味方となる勢力かもしれないからだ。
しかし、現実には、そのキリスト教の聖地であった長崎に、しかも浦上天主堂の真上に原爆を落としちゃうわけである。
むしろ、狙われていたのではないか?という気さえする。
こういう見方は、何も僕だけではなくて、カトリックの人達にも共有されたらしく、アメリカはプロテスタント主導の日本統治を行うために、カトリックの聖地だった長崎に原爆を落としたのだというカトリック側の危機感から、(新渡戸稲造に連なるクエーカー=プロテスタントでもカトリックでも無い平和主義のキリスト教人脈+吉田茂=カトリック人脈と昭和天皇の共闘によって)憲法9条が産まれ落ちたのだとする説もある。
アメリカは、
[原爆投下の第一目標であった福岡県小倉市(現:北九州市)へ向かったが、前日の八幡市(現:北九州市)への爆撃で生じた火災の煙がたれ込め目視での爆撃が困難であった。更に高射砲や戦闘機での迎撃があったために、長崎県長崎市への目標変更を決断した。]
wikipedia長崎市への原子爆弾投下
とあるが、前述したように、原爆の投下は実験の意味合いが濃く、投下する予定の都市には、極力爆撃を避ける方針であったことが確認されている。
それにしては、前日に爆撃しているのは矛盾するのである。
更に、武器を製造していた小倉造兵舎のかなりの部分は、終戦間際には、大分県の日田やその他に移転されていた。
これは、日本軍が本土決戦の際に、長野に大本営を移し、日田の地下工場を本拠地として九州決戦を闘う構想だったためである。
これは、僕の父や祖父がその地下工場を作っていたし、祖母や父の兄弟が小倉に居たのだから間違いない。
そして、この日田の秘密基地の存在を既に米軍は知っていたようなのだ。
その証拠に、後の占領後、1945年10月、日本軍の爆弾の隠し場所を爆破している。(誘爆して大量の犠牲者を出す大惨事となった)
小倉を爆撃する意味は、極めて薄かったのである。
さて、ここまで見てみて、本当に第一目標は小倉だったのだろうか?という疑問が当然浮かんでくるわけである。
長崎の原爆は、街の中心や三菱の兵器工場のある海岸線を大きく外れ、山の中である浦上地区の上空で爆発した。
長崎キリスト教の総本山である浦上天主堂上空である。
原爆投下地点は長崎市松山町上空
地図はこちら
さて、原爆を投下した人間のインタビューというのを見たことがあるのだが、彼が言うには、「原爆の投下について後悔したことは無い。ただ目標から1キロほど外れたことに対しては後悔している」と語っている。
原爆は長崎の中心から3キロほど外れた地点に投下されている。三菱の軍事工場は、長崎の中心地よりさらに原爆投下地点から遠い地点である。
明らかに原爆は軍事工場を目標にしたのでは無いことが分るだろう。
そして原爆投下地点から約1キロの地点には、明らかに浦上天主堂があるのである。
スウィーニーは直ちに自動操縦に切り替えてビーハンに操縦を渡した。工業地帯を臨機目標として、高度9,000mからMk-3核爆弾ファットマンを手動投下した。ファットマンは放物線を描きながら落下、約1分後の午前11時2分、長崎市街中心部から約3kmもそれた別荘のテニスコート上空、高度503mプラスマイナス10m[14]で炸裂した(長崎市松山町171番地)[15]。
wikipedia
長崎のキリスト教信者達は、文字通り神の生け贄になったようである。
長崎のカトリックの人達は、この原爆を『神の摂理』だと考えた人が居たそうだが、極めて現実的に考えれば、それは『神の摂理』ではなくて、日本支配をプロテスタント主導で行おうとするアメリカの冷徹な作戦だった可能性が高い。
それを隠蔽する為に、小倉を爆撃出来なかったからとか、レーダーでは無くて目視だから目標をずれたとかの証言が出てくるのだろう。
対外的のまずいのだ。
もし、本当のことがバレたら、他のキリスト教徒、特にバチカンを完全に敵にまわすことになる。
そう、アメリカは、当初から長崎の日本におけるカトリックの本拠地、浦上天主堂を原爆の目標にしていたのだ。しかも、日本人とカトリック教徒の殲滅を目指した
ホロコーストだったのだ。
長崎の原爆が、広島の原爆よりも圧倒的に語られることが少ないのは、そういったことがあるからだろう。
そして、浦上天主堂は、原爆は『神の摂理』と語った神父達によって解体され再建されてしまう。
もはや、世界のクリスチャンに向けて訴える実物は無くなってしまった。
そういえば、NHKや TBSが、長崎原爆について秀逸な番組をやったことがある。東京大空襲についてもだ。
TBSが叩かれるようになったのは、そこがポイントだったのではないか?と思う今日この頃である。
私達が本当にやらなければならないのは、インチキな北朝鮮の偽原爆詐欺の追求などではなく、世界で一番危険な国達の本当の核廃絶である。
今日は長崎市長、伊藤一長氏が暴力団に殺害された日である。
ご冥福をお祈り申し上げます。
wikipedia長崎市長射殺事件
ちなみに、この長崎市長暗殺犯の弁護をしていたのが、トンネル協会の弁護士である。
佐世保の事件をカトリックのせいにした犯人は一体誰だったのだろうか?
つづく
東京大空襲とスタンダード石油
原爆の投下と松本サリン事件の謎
なぜ原爆は長崎に落とされたのか?